30歳を超えて新しい業界に1人で乗り込むと。。。

今日は題名通りのお話をします。

何となくソースのこと考えてたらブログを更新したくなったので。笑

 

さて、皆さんは30歳を過ぎてまったく知らない業界に転職したり、まったく知らない業界で起業しようと考えたことありますか?

あるよ!っていう人もいますが、普通に考えるとちょっとハードル高いですよね?

 

僕は起業とまでは言えませんが、「平凡のソースを売る」ことをやってみようと30過ぎてから小売の業界に1人で乗り込みました。

平凡のソースとは、私の実家が平凡というお好み焼き屋をやっているのですがそこのソースです。

詳しくはこちらを→ https://www.heibon-sauce-online.com/

今まで不動産業と留学斡旋業ぐらいでしかまともに働いたことない僕が、小売業に乗り込むとどういうことが起きたのか1〜2年前のことを思い出しながら書いてみようと思います。

 

甘さがボロボロ出る

初展示会

実家の味を全国に広げてみたいなー、あわよくば世界にも。(あわよくばの時点でふわふわしすぎ。笑)

と思いまずは商品にしようと思い、製造会社とミーティングして数ヶ月かけてボトルに入った商品ができました。たぶんここまでは誰でもやろうと思えばできると思います。

できて商品が届く日の目安がついて、すぐ展示会の案内がきていたのでとりあえず出てみるかと言うことで、地元の食品の展示会に出展してみようと思いました。

ここで、甘かったのが届く日と展示会の日が近いことと、そもそも展示会までの時間がぜんぜんなかったのに余裕だと勘違いしてたこと。笑

 

いざ展示会始まって商品を並べると、自分のブースが恥ずかしくなるくらい周りのブースがしっかりしていて、すごく場違いな思いをしていたことを思い出した。どうせ、地方の小さな展示会だからこれくらいでいいだろうというなめた考え。周りのこの展示会にかけてる雰囲気を見ると恥ずかしかったなー。

それでも「あの平凡?」「平凡の息子さん?」「久しぶりに行きたくなったから帰り行くね!」とか言ってくれるバイヤーさんがいてほっとしたのと、嬉しかったことを思い出します。周りのブースの方が常連さんだったりもしてだんだん居心地は良くなった。笑

しかもその日は、個別商談会の予約なんか調子に乗って取っていたので地元スーパーのバイヤーさんや少し離れた大手のバイヤーさんと商談させていただく機会もありました。

ほぼほぼソースの知識と小売業界の知識0の私が何を自信にしてその商談に臨んだのか謎ですね。笑

もちろん結果は手応え無しで終った、というかどうやったら手応えがあったかもわからない状態だったと思います。

 

 

後日、ある地元のスーパーでイベント企画で一度やってみませんか?という奇跡のようなお話を頂いたのですが、当時の僕の無い脳みそをフル回転させた結果断ってしまいました。なんで?ですよね。

特に後悔はしてませんが、少しあそこでお世話になってたらどうなってただろうなーって考えたりもします。(それを後悔というのではないだろうか?)

ちなみに断った理由はヒミツです。

 

東京での営業

それから東京に戻っていろいろやってみたのですが(ここ説明すると膨大になるのでやめます)ぜんぜんうまくいきませんでした。笑

 

北九州の田舎から出てきた、地元では多少有名だったけどみたいな店のソースなんて東京では誰も相手してくれません。

理由はいくつか。

  • そもそもソース使う文化が関東にあまりない
  • ソースは一番売りにくい調味料
  • いろいろ(企業秘密)あって値段が高い
  • ○ルドックソースと○タフクソースが強すぎる

 

こんなところでしょうか。

 

そうです、マーケティング不足です。笑

甘過ぎますね、考えが。勢いでやって失敗する典型的なやつです。

これらの理由も当時は頭になく、スーパー等に行って、ソースがぜんぜんおいてなかったのを見て、いけそうだ!と勘違いして喜んでいたのが恥ずかしい。

 

とはいえ、僕は運が良くて協力してくれるいい友達がいます。

そのおかげでいろんな方を紹介してもらったりして、居酒屋さんで使ってもらえるようになったりしましたが、やっぱり僕としては小売店様に取り扱って頂きたいなーと思っていました。

もちろん採用していただいた居酒屋さんには感謝してもしきれないくらいでした。東京で取り扱って頂ける方第一号でしたから。めちゃくちゃ嬉しかったのを覚えています。

 

そのうち小売店の方も紹介して頂けるようになったのですが初めは正直話にならなかったです。

僕の知識不足や能力不足、その他諸々不足していたり、設定の価格が・・・みたいなことも。

そして、あまりこういう言い方すると怒られるかもしれませんが業界が古いのでガチガチに固められた見えない何かがありますね。これはどの業界もあるのかな。

新参者が軽快に駆け抜けれる感じではまったくなかったなー。

そして運が良いのか悪いのか、小売店の方々にボロカス言われたい放題のサンドバッグ状態。今思えば愛でしたが。笑

 

ちょっと病む

話すたびにサンドバッグ状態なので、メンタルの弱い僕は病みますね。笑

結構へこむことも言われましたしねー。

 

海外から帰ってきてそれまで、少し自信もつき仕事を自分の根拠のない自信でやり通してきた数年間。

その自信が急激に無くなっていくのがわかりました。

カナダから帰ってきて、2社日本の会社で働いたのですがそこでは自分のその根拠のない自信でやり通せたんですがまだまだ甘かったですね。笑

暗黒時代に突入した感じでしたね。笑

そんな気の持ちようだと、他の仕事もうまくいかなくなります。不動産も留学も絶不調になるんですよね。なぜそこが連動してしまうのか。。。やめて頂きたい。

もうやり始めたことなのに、ソースなんてやめとけば良かったなんていう弱音はきまくりでしたね。

おとなしく不動産と留学だけやってればよかったのにとも思ってました。

これまでにない超がつくほどネガティブ期間でした。

 

 

奇跡が起きる

そんな僕もある時にこれじゃ本当にまずいと思いある決断をしました。

 

ソース一回東京ではやめよう。

 

他の業務にいろいろな意味で支障があったので一回やめることにしました。

実際北九州の店舗では売れていたので、まず地元からやって行けば良いかなと弱気と言い訳満載の妥協案に自分の中で落ち着きました。

 

ところが、そんな決断をしたすぐ後にこんな連絡がありました。

 

「吉川さんもう一回うち来てくれる?」

 

ん?いいですよーて言う感じで返事してその会社に伺いました。いいですよーって感じ本当に出てたらヤバいやつですよね。笑

 

ある方にご紹介頂いた社長だったのですが一回目に伺った後もいろいろとお世話になってて。

到着すると商品開発部の方もいて、もう一回プレゼンさせてくださるのかなと思ったんですがいきなり値段の話で採用前提にとお話を頂きました。

 

清ましていましたが、なにがなんだかわからないのと緊張とであまり話が入ってこなかったのを覚えています。

最後の重要なとこと、なんで採用してくれたかはちゃんと覚えて帰りました。その理由もヒミツです。笑

 

そこから速攻で製造会社にアポを取り、飛行機で向い商談(と言うより頼み込んだ感じ)してなんとか値段の折り合いがついたので、また速攻で東京に戻りその会社と商談。

 

なんとかまとまりようやく平凡のソースが関東の小売店の棚に置かれました。

 

ヒミツにしている、なぜ採用になったかの理由は本当に些細なことで、僕も「え?笑」って社長に向かって言ったくらいのことです。世の中何が起こるかわからないなーと実感しました。それは業界や仕事どうこうの理由ではなかったので尚更です。

 

まとめ

さて、題名に戻りますが「30歳を超えて新しい業界に1人で乗り込むと。。。」。

結果、メンタルがズタボロにされるのと、今までの自分の固まった概念がまったく通用しないことを思い知らされます。

30歳って高卒だと12年目、大卒だと8年目でそこそこ実績ができてきて、自信もつく年齢ですよね。同じ会社や業界にいれば。

そこから他の業界を覗くと気持ちの面でやられます。笑

その覚悟ができてる方でやる気があれば挑戦してもいいんじゃないかなぁ?僕はちょっともう嫌だなと思いましたが。笑

 

でも、たぶん僕はまたぜんぜん今まで手を出したことのない仕事や業界に飛び込むと思います。40になっても50になっても。

懲りない奴だと我ながら思いますが、なんだかんだ楽しかったし勝手に一皮向けた気になっています。それがちゃんと発揮されるのはこれからだと思いますが、やって損はなかったなと思います。

あっち行ったりこっち行ったりでフラフラしてるように思われますが、まだまだ自分が力を発揮できるところがあって、それを探続けているんだろうな。なんか一生こんな感じな気もしてきました。笑

 

そんな感じでまたこういうブログ書くかもです。

 

 

 

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ABOUTこの記事をかいた人

吉川 晃太郎

カナダのカルガリーとトロントに合計2年間滞在。英語が全くしゃべれない状態(TOEICが300点以下)で出発する。語学学校での勉強後、現地の小さな留学エージェントで働くようになる。 帰国後、1人でサッカーボールの寄付活動をフィリピンとカンボジアで行い、東南アジアの国に興味を持ち、フィリピン留学エージェントを始める。 その後、外国人向けの不動産売買や実家のお好み焼き屋で使用しているソースも販売開始。まだまだやりたい事があるので様々な事に挑戦中。